ツーリストが行かない村で出会ったスヌマヤのこと
こんにちは、Ramroです。前回「旅のはじまりはバンコク」で、カトマンズに降り立った私は、「ツーリストが行かない村」を目指すことになります。
選んだのは、4泊5日のツアー。まずはカカニを目指し、そこからゆっくりカトマンズに戻る計画です。2泊目に立ち寄ったのが、今回ご紹介するシムレ。シムレで出会った、力強くて、でも柔らかな、スヌマヤのことを書きました。
※別のブログに掲載していた文章を加筆修正し、コラムとして編集しなおしました。 年齢などは当時のままです。
スヌマヤ、29歳。

カカニを後にした私は、ガイドに連れられてシムレを訪れた。 シムレは、ツーリストはおろか、ネパール人もほとんど来ない村だ。
ホテルやゲストハウスはなく、電気がかろうじて通じているだけ。ガイドが「どこか泊まるところはないか」と探し回って、商店を営む人の一室を一晩貸してもらえることになった。
家主のスヌマヤは、29歳。タマン族だ。彼女は村唯一の商店を営んでいた。地震で家を失ったが、仮設の家を建て、今も生まれ育った村で暮らしている。最近、今後のためにと鶏の飼育も始めたそうだ。
彼女の店には、若者から年寄りまで幅広い世代の人が集まる。木枠の窓から顔を覗かせて、いらっしゃいとほほ笑む姿は、美しかった。でも、集う人を見る彼女の顔は、どこかさみしげでもあった。
スヌマヤのお家

建て直したばかりという彼女の家は、日本人の私からすれば、お世辞にも快適とは言えない。私が借りたのは、商店に併設するリビングのようなスペースで、テレビとベッド2台、たくさんの毛布、裸電球が一つあった。 薄暗い部屋の広さは4畳ほどで、床にじゅうたんが敷いてあった。
家の壁に飾られた夫の写真を見つけた。まるでアイドルのブロマイドのように、1人ぽつんと映っている。今は、どこかへ出かけているそうだ。
滞在中は、ほとんどの時間を店先で過ごした。外国人を初めて見るという村人が、買い物がてら店先に集まってきた。日が出ている時間は、村を探索して、家や学校を見て回った。でもやることがすぐになくなって、ぼーっと椅子に座って時間をつぶした。
夕飯には、スヌマヤがローカルなダルバートを作ってくれた。干した水牛の肉を油で炒ったもの、チリソース、豆のカレーにダル。田舎の味は少ししょっぱかったけど、体がすぐに温まった。
食事を食べたら、床についた。午後9時前。ベッドといってもふかふか、ふわふわではなく、一枚板の固いベッド。横になってしばらくすると、鶏がベッドに乗ってきて、私は驚いて大声を出してしまった。
お風呂もない、水道もない、でも。

お風呂もない、水道もない。お湯なんて、もちろんない。なのに、シムレで過ごした時間を思い出すと、心が柔らかい感情で満たされる。居心地がよく、オレンジ色の温かい感情だ。
それはやはり、スヌマヤの存在が大きい。彼女との会話は、ガイドが訳してくれた。スヌマヤはいつも「お腹はすいてない?」「何か飲む?」「体調は大丈夫?」と、私を気にかけてくれた。
別れの日には、次の村に向かう私を気遣い、「体調が大丈夫か、休憩が必要か常に聞きなさい」とガイドに諭したそうだ。
たしかに客人ではあるが、たくさんのお金を払ったわけではない。なんで彼女は、異国から来た私にこんなに優しくできるんだろう。
夜が明けて、出発の準備をしていたとき、スヌマヤは私を見ながらガイドに言った。「もし英語が話せたら、どんなに楽しいだろう」。
ネパールでは、小さなころから学校で英語を習う。ちゃんと勉強をすれば、流暢な英語を話す人も多い。でも、彼女が生まれたのは村だ。なおかつ、充分な教育をこれまで受けられなかった。
彼女は、14歳で最初の結婚を経験した。そして、3人の子宝に恵まれた。ただ、最初の夫は別の女を作ってどこかに行ってしまったそうだ。彼女の今の夫は、2番目の夫。彼女より若く、都会的な見た目だった。
彼は夜遅くに帰宅して、私たちが帰る朝、家族を残して、バイクでカトマンズに行った。「彼はカトマンズで別の女と遊んでいるんだよ」、と後でガイドがこっそり教えてくれた。
スヌマヤが、商店を営みながら稼ぎを得ていた。鶏も、子どもたちのこれからを見据えて始めた事業だった。私が家族を支える――。自分と数歳しか違わない彼女の決意に触れて、少し自分が恥ずかしくなった。
ネパールの教育格差
人と話すのが大好きなスヌマヤ。彼女が英語を話せたら、きっとたくさんのことを私たちに教えてくれ、村人との懸け橋になってくれただろう。彼女が英語を他の同世代のように話せないのは、自らの意志ではない。ネパールでは、学ぶ機会が平等に与えられていないと感じる。
ネパールの教育の問題は、世界各国の活動家たちが伝えるように課題が多い。「都市部と農村部」「私立と公立」では、その差が鮮明になっている。実際、シムレの学校は、今日は先生が来ないと平日にもかかわらず休みになっていて、施設は静まり返っていた。
ネパールでは、女性の社会進出が進んでいる最中だ。大統領も女性だし、私の友達にも弁護士として働く子や、大学院を出て研究者のキャリアを選んだ子がいる。
でも、それは都市部でも一部にすぎない。そして、村に行けば状況はもっと違う。「自分の学びたいこと」が気軽に叶う環境とは言えない。「それがネパールだから」と言う人もいるけれど、でも本当に、スヌマヤの「英語が話せたら」を叶えることは難しいのだろうか。
学びたいと願えば、学びが手に入る自分の生活は恵まれている、と私は思う。同時に、どこに生まれたのかでアンフェアになる世界は、なんだか切ない。彼女のような「学びたい人」にちゃんと教育が行き渡り、自分の描く人生を歩むことができる世界の実現に、私は何ができるんだろう。その方法を少し、考えてみよう。

